HARASUKI

東海ちほーに住むオタク女が好きな事を書いたり描いたりする雑記ブログです

『かぐや姫の物語』から考える幸せ

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金曜ロードショーかぐや姫の物語

何度観ても、物悲しくもとても美しい映画です。

 

動画としての美しさやストーリーの良さは言うまでもないので

今回は私が感じたことについてひとつ。

 

勿論ネタバレ含んでますのでまだ観ていない方は

是非観てから。

 

 

 

かぐや姫の物語でおじいさんは

かぐや姫幸せにする為に手に入れた金や布を使い

都に居を構えます。

 

しかしそこでの生活はかぐや姫にとっては

幸せとは程遠いものであり

最終的に月に帰ってしまう要因となります。

 

おじいさんの考える「幸せ」かぐや姫「幸せ」とは

明らかに違ったのです。

 

 

さて、「幸せ」というものはどんな状態を言うのでしょうか?

 

不自由なく暮らせること

美味しい物をお腹いっぱい食べられること

忙しいこと

のんびりと寝られること

好きな人といられること

 

他にもたくさんあって

人により様々だと思います。

 

他人の言う幸せが自分にとって幸せとは限りません。

 

 

おそらくこの物語でおじいさんの与える「幸せ」

かぐや姫個人にとっての「幸せ」ではなく

おじいさんの考えられる中で最善の「若い娘の幸せ」だったのでしょう。

 

故にかぐや姫は助けを求め悲しい結末となりました。

 

 

物語としておじいさんを責めようというわけではありません。

 

私がここで考えるべきと思ったのは

現実でこのような「幸せの押しつけ」が実際に起きていることです。

 

「皆これをしているからしないのは苦労するよ」

「結婚しないなんて将来さみしいよ」

 

こんな言葉を言われる時があります

きっと言った本人はおじいさんと同様に

それが「幸せ」だと思って忠告しているつもりなんでしょう。

 

しかし望んでいなかった場合

そこから得られるのは「幸せ」ではなく「社会から逸脱していないという安堵感」

だけだと私は思います。

 

もちろん知らなかった幸せに出会う、といった事もなくはないと思います。

 

前述した通り

「幸せ」は個人のものです。

どれだけ不自由でも私が幸せと思えば幸せ

そういうものだと思います。

 

しかし行き過ぎて「社会的な幸せ」は思考放棄している!

と強く言う人にも気をつけてくださいね。

 

社会の幸せと個人の幸せが合致しているだけですから

それはそれで自由であるべきです。

 

 

 

私はこの物語に

「幸せは社会が決めるものではなく自分が決めるものである」

というメッセージがあるのではないかと感じました。

 

かぐや姫の別れは人間としての死であると思い

突然、死を間際にして本当の望みに気づくも、時既に遅し

というように感じました。

 

もし今誰かから「幸せの押しつけ」をされていると感じるのであれば

一度映画を観てみると、我慢して我慢していつ来るとも知れない死に際に

「あぁこんな風では無かった、幸せに生きたかった」と後悔する前に

自分の「幸せ」に向き合うきっかけとなるかもしれません。

 

もちろん映画としても最高ですので是非見ていただきたいです。

 

 

長々とした話になりましたが

結局は個人を大切にっていう至極当たり前な話でした。

 

やっぱりジブリは最高だぜ!

 

おわり